先ほど大胆にも「神の手」について書いてしまいました。読み終えると何か変?というわけで。
神の手は誰しも手に入れれるわけではありません。まごの手:これって痒いところをかく棒状のものです。背中が痒かったりすると使う道具です。もし神の手というものがあったとしてもその手に出会うのは至難の業です。でももし矯正医が「まごの手」を持つ感覚を持ち合わせているとすれば患者さんの心配、不安、疑問などに対し会話や説明、技術でそれらを低下させることができます。神の手の前ではいうことを聞かざるを得ませんが、まごの手=患者さんの立場に立つ意識と実際の行動、を持ち合わせているとすれば患者さんもいいたいことをいえるでしょうし、これってよくありませんか?・・・そういう意味を含め臨床医は神の手に挑戦するのでなく、自分の能力を冷静に評価しつつ「まごの手」をもつ意識が必要でしょう。
「匠の手」「まごの手」持ち合わせるように努めたいものです。「仏の手」ってありますか?