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小石川先生のひとことブログ

文京区小石川に開業している矯正歯科医が、矯正治療に関して徒然なるままに語る矯正歯科考察ブログ
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「後戻り:あともどり」という言葉の一人歩き?

 「矯正治療したって、どうせあともどりするよ」といわれたそうです。矯正治療はしたいのですがこれが心配で・・・・
 
 後戻りという現象は歯の移動を行えば多かれ少なかれ出現することはあります。ほとんどでないこともあります。このような「あともどりの現象」については、個人的に次のように考えています。まず治療対象となる症状を10とします。治療終了時、すなわちワイヤー(装置)をはずすときはこの治療対象となっていた症状は限りなくなくなっている(軽減、改善)ような状況になります。さてこの後出現する主に歯のもとあった位置や状態(例えばねじれや傾きなど)などへの変化を学術的には「後戻り:あともどり」といいます。その程度は数%の変化であっても後戻りといわれてしまいます。工作物などと違い生体ですから多少の後戻りは生じることはあります。この多少の後戻りとは何かと考えますと咬む機能、話す会話機能などに問題がない程度の変化と考えられます。でもそれって「後戻りの変化というのではないですか?」といわれれば、そうfですね、となってしまいます。でも再治療を要さない程度の後戻りともいえ、生体の許容範囲内での変化であり決してマイナスの変化ではないともいえます。これに対し明らかに再治療をしたほうがよいと思われる後戻りの変化もあります。この変化の方が「後戻りしてしまった」というマイナスのイメージに近いと思われます。一般の方が「後戻りしてしまう」という会話をするとしても、その中身は多様性にとんでいます。その結果、許容範囲内での後戻りの変化も悪者にしてしまうことにいかねません。つまり「矯正治療=後戻りする=治療なんてしない方がよい」というような図式がイメージされてしまうわけです。素人同士の簡単な言葉「矯正治療したってあともどりするよ」となりがちになってしまうことが少なくないわけです。言葉が膨らんだ状態での一人歩きです。
 ワイヤーをはずした後上下の歯のお互いにさらに緊密に咬合しようとする意味でのわずかな変化も生じます、しかし変化が生じたからといってこれを「あともどり=悪い変化」とはならないと思います。「あともどりという変化=あくまでも再治療した方がよいのではないか」という公式の元に考えて欲しいところです。ただし前歯における0.1mm程度の歯のあともどりなどは見える場所ですからあともどりが生じたら積極的に短期にワイヤーなどを再装着しよい状態に治すことが少なくありません。

 ちなみに15年前に矯正を終えた35歳の男性ですが、どうもあともどりのような状況です、どうしたらよいでしょう?・・いまある症状が「あともどりの定義」に一致するか(再治療)、あるいはあともどりとは関係ない新たな症状の出現か(例えば奥歯が虫歯などでもたず、結果、抜歯を行いそのまま放置していたらその奥の歯が前に倒れこんできた?)などにより治療(再治療というよりは新たな治療の必要性)が考えられます。矯正専門医の診察をということです。・・・・結局矯正の先生とは長いお付き合いになるか?・・そうです。

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先生だったらどんな矯正医を選ぶの?

 つい最近の初診患者さんの質問です。先生が患者さんの親で矯正治療についてインターネットなどの情報を参考にして子どもの治療を受けさせるとすれば、どのようなクリニック、先生を選ぶのですか?ということでした。

 よくある質問でもありますが逆にその方に、では患者さんはどのような先生に任せたいのですか?とたずねてみました。何件も回ってきておりよく情報を得ているようです。そこで一つ一つ質問を。何が一番気になりますか?それは費用ならびに支払方法。次は?先生の実績。何を持って実績と考えますか?矯正医として何年たっているか、資格があるか、何人ぐらいの治療をしてきたか。そうですかそれでは他には?あとは先生と接している感じや安心感、とこの患者さんはいいます。通院にかかる時間距離はどうですか?それは希望する先生が遠くとも関係はありません。では曜日はどうですか?それは関係あります。・・・・私が患者さん側であれば同じような基準で先生を捜そうと思いますよ、と伝え終了。ここまで一生懸命考えてくださったことに感謝したい気持ちで一杯です。
 ここまでは治療を開始するまでの選択基準。むろん選択した後も不安は残ります。この先生でよかったかな?というようなことを含め。治療開始に伴い聞いてみたいことは多々あると思います。その都度質問する癖をつけることで先生との間に心地よい緊張感も生まれるでしょう。継続する緊張感は納得度の高い結果を生むと思われます。これが治療を継続する基準です。

 先生にご自身の治療に対する思いを話していくと、この先生にお願いする、しない、はおのずと整理されてくるようです。患者さん同士の口コミよりは歯科医師など専門領域の先生の推薦などを参考にされるとより納得されるのではないかな?と思います。加えて費用の高すぎるところ低すぎるところ、なぜそのような料金体系になるのか?これも検討課題でしょう。だって治療を受けるのは患者さんであるから。

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神の手と書いているうちに「まごの手」へ

 先ほど大胆にも「神の手」について書いてしまいました。読み終えると何か変?というわけで。

 神の手は誰しも手に入れれるわけではありません。まごの手:これって痒いところをかく棒状のものです。背中が痒かったりすると使う道具です。もし神の手というものがあったとしてもその手に出会うのは至難の業です。でももし矯正医が「まごの手」を持つ感覚を持ち合わせているとすれば患者さんの心配、不安、疑問などに対し会話や説明、技術でそれらを低下させることができます。神の手の前ではいうことを聞かざるを得ませんが、まごの手=患者さんの立場に立つ意識と実際の行動、を持ち合わせているとすれば患者さんもいいたいことをいえるでしょうし、これってよくありませんか?・・・そういう意味を含め臨床医は神の手に挑戦するのでなく、自分の能力を冷静に評価しつつ「まごの手」をもつ意識が必要でしょう。

 「匠の手」「まごの手」持ち合わせるように努めたいものです。「仏の手」ってありますか?

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矯正治療における「神の手」とは?

 テレビやメデイアに登場する「神の手」とは?報道を拝見させて頂くと本当にすごい方々がいるなあ、というのが感想です。長年の研修研鑽とそれぞれの先生が本質的に持っている能力が合致しての結果かな?と思います。年齢を考えても50~60代と少なくとも実績の証明を含め数十年の結果が必要であったのであろうとの思いです。
 
 さて矯正治療に関する「神の手」の存在は?と考えるとこれもなかなか難しい(そのような言葉に該当する先生方の人数や何を証拠にそのようにいうか?などという意味で)。というのも日本における歯科矯正治療の歴史を考えてみると、スタンダード・エッジワイズ法やベッグ法、ライトワイヤー・エッジワイズ法などが昭和30年~40年代にかけて輸入され、それらの技術を日本的な器用さで加工し、またその後T医科歯科大学M名誉教授(教授にお断りしておりませんのでイニシャルですみません恩師です)による世界的な治療法としてのダイレクト・ボンデイング・システム(従来の歯に金属の環を被せるちょっとグロテスクな矯正装置でなく、歯の表の面のみに接着剤で装置を装着するようにした方法、これにより装置は目立たなくなった。歯の裏側につけて表から見えない矯正方法などもこの応用系といえる)が開発された結果、今日的な矯正治療が存在すると考えられるからです。いいたいのはこの開発経過を考えると「歯科矯正治療」はここ30年ぐらいの間で確立した治療方法とも考えられます。したがってもし「神の手」が存在するとしても時間的、年齢的にもそう多くの人は存在しにくいということです。私の個人的に勝手に尊敬する治療歴が40年近くの先生方で数人程度です(あくまでも個人的な意見です)。先生方の多くはHP上での情報開示もなく淡々と治療を行っているようです。これで極めたということはなく生涯現役という立場をとっています。この臨床的な時間差は追いつきにくいものです。

 医科のことは知りませんが、歯科矯正治療に関しては「神の手」ということよりは「匠の手」に近くづことの方が重要かなとも思えますが?どうでしょう。

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